アユタヤ旧市街は、東をPasak川、西と南をChaophraya川、
そして、北側をMuang運河で囲まれています。
このアユタヤ旧市街の北東隅に、この博物館は位置します。(赤〇印部)
今は、博物館になっていますが、元々は、1577年に、マハータンマラチャー王が、
後にナーレスエン王となる王子の為に建てられた宮殿でした。
以後、歴代皇太子の公邸になりましたが、ビルマ軍に焼かれ、
後に、ラーマ4世によって、修復されています。
門を入ったところにあったシンハ像です。
これは、ナーガを掴むガルーダだと思います。
金網の中にアユタヤの遺物が納められています。
Pisai-salalakと言う塔です。
その塔の説明です。
アユタヤのナライ王の命で、見張り小屋として建てられました。
そして、アユタヤがビルマに蹂躙され、廃墟となった後、
ラタナコーシン時代に、ラーマ4世によって、
天文台として、4層のレンガにモルタルの塔として、立て直されました。
その塔の上から、北を見たところ。
北、少し西寄りを見たところ。
西を見たところ。
赤い屋根の建物には、アユタヤ時代の遺物が
展示されています。
南西を見たところ。
Wat Ratchaburana
や、
その向こうに、
Wat Phra Ram
の祠堂が見えます。
展示物です。
屋内は写真撮影禁止ですが、建物の外にあったので、
撮影させてもらいました。
ヒンドゥーの神は、乗り物と、持ち物で、
通常、見分けがつきますが、
何の神か、判別ができません。
この博物館前には、Pasak川が流れ、
対岸に渡る船の桟橋がありました。